豚の精液で作った点眼薬が乳児の目に生じる希少難治性のがんを治療できるとする研究結果が出た。眼の網膜は薬物が通過しにくくがん治療の障害となるが、精液成分で薬物を包めば問題ないことが動物実験で示された。
中国・瀋陽薬科大学のチャン・ユー(Yu Zhang)教授の研究チームは「豚の精液のエクソソームに薬物を搭載し、子どもに発生する難治性希少がんである網膜芽細胞腫を治療できることを動物実験で確認した」と28日、国際学術誌「サイエンス・アドバンシズ」に発表した。
網膜芽細胞腫は網膜に生じる悪性腫瘍である。網膜は眼の内側で光の焦点が結ばれる場所で、カメラでいえば写真が記録されるフィルムに相当する。網膜芽細胞は網膜へと成長する細胞だが、遺伝子変異が起きると勝手に増殖してがん細胞になる。
◇正常細胞を残しがん細胞だけを攻略
網膜芽細胞腫は眼球に薬物を注射したり放射線、レーザーで治療できるが、眼の正常部位に損傷を与えるおそれがある。チャン教授の研究チームは、がん細胞にのみ薬物を送達すれば副作用なく治療できるとみた。問題は眼を保護するバリアが薬物まで遮ってしまう点にある。研究チームは、豚の精液に含まれるエクソソームが網膜バリアを自由に通過して薬物を運ぶと説明した.
エクソソームは細胞が分泌する50~200㎚(ナノメートル・10億分の1m)大の微小な小胞で、細胞内外を行き来し信号を伝える郵便配達の役割を担う。今回はこの配達係が信号の代わりに薬物を運ぶよう業務を切り替えた格好だ。精液のエクソソームは精子が女性生殖器を通過できるようにする。チャン教授の研究チームは、豚の精液のエクソソームが同様の方法でヒト角膜細胞において半透性構造であるタイトジャンクションを開閉できることを確認した。
研究チームは豚精液エクソソームに、カーボンドットと二酸化マンガン、グルコースオキシダーゼを含む抗がん剤である「ナノ酵素システム」を搭載した。ナノ粒子であるカーボンドットは抗がん剤と結合しやすく、表面に薬物を載せられる。二酸化マンガンも表面に抗がん剤を付着させることができる。
グルコースオキシダーゼは薬物を付着させた粒子と結合し、がん細胞にのみ薬物を送達する。がん細胞は急速に増殖し、栄養源であるグルコースを多く消費する。グルコースオキシダーゼはグルコースが多いがん細胞を探し出す。また、オキシダーゼがグルコースを分解すると、がん細胞に害を与える過酸化水素が生成される。
研究チームはエクソソームが網膜芽細胞腫だけを選んで薬物を投与するよう、表面に葉酸分子も付着させた。網膜芽細胞腫の細胞は健康な細胞より葉酸レベルがはるかに高いからだ。二重三重の標的誘導ミサイルシステムというわけだ。
◇マウスで有効性、ウサギで安全性を確認
研究チームが網膜芽細胞腫が生じたマウスの目にエクソソーム点眼薬を投与したところ、30日後も腫瘍はそれ以上大きくならなかった。マウスは引き続き視力を維持した。一方、エクソソームなしでナノ酵素システム成分だけを含む点眼薬を投与すると、がん細胞は成長を続け周辺へ拡散した。薬物が眼内に入れず効果を発揮できなかったためだ。
研究チームはウサギの目に30日間反復して点眼薬を投与した際、角膜にわずかな刺激を与えただけで安全性に問題はないことを確認したと明らかにした。ウサギの実験は医薬品や化粧品の安全性評価によく用いられる。ウサギは目に対して角膜が大きく、まばたきをせず、薬物を塗布したり反応を観察しやすい。涙管もなく、投与した薬物が涙で洗い流されることもない。
エクソソーム点眼薬は網膜芽細胞腫だけでなく、他の難治性疾患の治療にも寄与し得る。オーストラリア・アデレード大学化学工学部のジャオ・チュンシア(Chunxia Zhao)教授は同日、ネイチャー誌に「今回の研究はエクソソームが網膜を透過できることを立証した」とし、「アルツハイマー病治療薬は脳にある血液脳関門(血脳障壁)を越えるのが難しいが、同じ方法でこのようなバリアを越えて薬物を送達できるはずだ」と述べた。
エクソソーム抗がん点眼薬が商用化されるには人を対象とする臨床試験が必要だ。研究チームは、ナノ酵素システムを搭載したエクソソーム点眼薬を量産する方法を見いだすことも課題だと明らかにした。
参考資料
Science Advances(2026)、DOI: https://doi.org/10.1126/sciadv.adw7275