標高4000mを超える高地に住むチベット人は糖尿病になりにくい。科学者がその秘訣を見つけた。全身に酸素を供給する赤血球が低酸素環境でブドウ糖を吸収するスポンジとして機能するということだ。もし人体に低酸素環境をつくれれば糖尿病を治療できる可能性がある。先に同じ方式で先天性神経疾患を治療した事例がある。
米国グラッドストーン研究所のイシャ・ジェイン(Isha Jain)博士の研究チームは「赤血球が世界最高峰のような低酸素環境でブドウ糖を吸収するスポンジとなって酸素を伝達する能力を強化し、副次的に血糖値を下げる効果ももたらす」と20日、国際学術誌「セル・メタボリズム」に明らかにした。
◇チベット人の糖尿病、漢民族の3分の1にとどまる
科学者は、酸素濃度が低い高地に居住する人々は海面付近に住む人々より糖尿病の発症率が低い事実を、以前から把握していた。2017年の中国疾病予防管理センター(中国CDC)によると、漢民族の糖尿病有病率が14.7%で中国の民族の中で最も高い一方、チベット人は4.3%にとどまった。だが、どのように高地環境が糖尿病を防ぐのかは明らかになっていなかった。
ジェイン博士の研究チームは、これまで血液で酸素濃度が低い低酸素症が人体の代謝と健康に及ぼす影響を研究してきた。先行研究では、酸素が不足した空気を呼吸させるとマウスの血糖値が正常より著しく低い事実を発見した。これはマウスが餌を食べてブドウ糖を速やかに消費し、糖尿病リスクが低下したことを意味する。
研究チームはブドウ糖が別の場所へ移動したと推定したが、医用画像技術でブドウ糖がどこへ移動するかを追跡しても主要臓器のどこでも確認できなかった。今回の論文の第1著者であるヨランダ・マルティ=マテオス(Yolanda Martí-Mateos)博士は「低酸素状態のマウスに糖分を投与すると血流から即座に消えた」と述べ、「筋肉や脳、肝臓などをすべて調べたが、どの臓器もこの現象を説明できなかった」と明らかにした。
研究チームは別の画像手法を用い、赤血球がブドウ糖を吸収し消費していることを突き止めた。実際にマウスを低酸素条件で飼育すると赤血球の生産量が大きく増えただけでなく、正常酸素条件で生成された赤血球より多くのブドウ糖を吸収した。
◇糖尿病治療の新たな道を開く
赤血球がブドウ糖を吸収することは低酸素環境に適応するうえで不可欠であった。研究チームは、酸素が不足すると赤血球がブドウ糖を吸収し、人体組織に酸素を放出するのを助ける分子を生成する事実を明らかにした。
今回の研究結果は糖尿病治療に転機をもたらし得る。研究チームは、マウスが慢性低酸素環境に適応して生じた利点が酸素が正常水準に戻った後も数カ月持続することを確認した。一時的に人体に低酸素環境を提供すれば糖尿病治療に寄与し得るという意味である。
ジェイン博士は「赤血球はブドウ糖代謝過程で隠れた貯蔵庫の役割を果たす」と述べ、「今回の発見は血糖コントロールに対するまったく新しい思考様式を開く可能性がある」と明らかにした。研究チームは先行研究でその可能性を実証した。
グラッドストーン研究所は昨年、国際学術誌「セル」に発表した論文で、ハイポキシスタット(HypoxyStat)という薬剤で人体に低酸素環境を誘導し、希少疾患であるリー症候群(Leigh Syndrome)の治療で画期的な効果を得たと明らかにした。ハイポキシスタットは赤血球のヘモグロビンが酸素をより強くつかむようにして酸素伝達を遮断する錠剤である。
リー症候群はミトコンドリアが損傷して現れる遺伝性神経変性疾患だ。ミトコンドリアは酸素を利用してエネルギーを生産する。この過程が損なわれると酸素が蓄積し、かえって細胞を損傷する。リー症候群を発症させたマウスにハイポキシスタットを投与すると酸素水準が下がり、疾患の後期段階でも寿命が3倍以上延長され、脳損傷と筋力低下が回復した。
研究チームは、ハイポキシスタットが糖尿病にかかったマウスでも既存治療薬より良好な効果を示したと明らかにした。論文の共同著者であるアンジェロ・ダレッサンドロ(Angelo D'Alessandro)コロラド大学医学部教授は「ハイポキシスタットをミトコンドリア疾患ではない疾患の治療に初めて活用した事例だ」と述べ、「糖尿病治療に根本的に異なるアプローチで臨む道を開いた」と語った。
◇ネアンデルタール人が残した遺伝子の遺産
チベット人が高地に適応したのは、絶滅した人類のいとこのおかげだ。米国バークレー・カリフォルニア大学(UCバークレー)の研究チームは2014年にネイチャーに、チベット人は血液で酸素を調節できる遺伝子をデニソワ人から受け継ぎ高地で生活できると発表した。デニソワ人は2008年にシベリアのデニソワ洞窟で骨が初めて発見された古代の人類だ。
ホモ・サピエンスが移住したユーラシアには、先に定着していた人類がいた。すなわち絶滅した人類のいとこであるネアンデルタール人とデニソワ人だ。いずれもホモ・サピエンスと同じホモ属の人類である。ネアンデルタール人はアフリカを離れ、40万年前にユーラシアに定着した。デニソワ人は35万年前にネアンデルタール人から分岐し、アジアに広がった人類と推定される。
UCバークレーの研究チームは、チベット人と中国の漢民族をそれぞれ40人ずつ比較した結果、チベット人の遺伝子にヘモグロビン生産を調節するEPAS1という特殊な変異遺伝子があることを確認したと明らかにした。この遺伝子はヘモグロビンと赤血球の生産を大幅に減らし、標高4000m以上で一般的に見られる低酸素症が発生しないようにすると研究チームは説明した。
科学者は近年、現生人類の遺伝子からネアンデルタール人とデニソワ人の遺産を相次いで発見している。2022年のノーベル生理学・医学賞受賞者であるドイツ・マックスプランク進化人類学研究所のスバンテ・ペーボ教授は、アジア人とヨーロッパ人は誰もがネアンデルタール人のDNAを最大4%まで保有している事実を明らかにした。現生人類の遺伝子にはデニソワ人由来のものもある。現在のフィリピンとパプアニューギニア、オーストラリアの先住民は、遺伝子のうち最大6%がデニソワ人と同じだと示される。
絶滅した人類が遺した遺伝子は、今日の人類が疾病や過酷な環境を克服するのに役立ってきた。ペーボ教授は新型コロナウイルス感染症(コロナ19)を克服するうえでネアンデルタール人が残した遺伝子が寄与したことを明らかにした。ペーボ教授は2021年、国際学術誌「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」に「ネアンデルタール人から受け継いだ3つの遺伝子がコロナ重症化リスクを22%低下させる」と発表した。人類のいとこが残した遺伝的遺産が新薬へ発展する日が近づいている。
参考資料
Cell Metabolism(2026)、DOI: https://doi.org/10.1016/j.cmet.2026.01.019
Cell(2025)、DOI: https://doi.org/10.1016/j.cell.2025.01.029
PNAS(2021)、DOI: https://doi.org/10.1073/pnas.2026309118
JAMA(2017)、DOI: https://doi.org/10.1001/jama.2017.7596
Nature(2014)、DOI: https://doi.org/10.1038/nature13408