ドナルド・トランプ米国大統領の中東特使であるスティーブ・ウィトコフと、アッバス・アラグチーイラン外務部長官が非公式接触を進めているという報道が出た。アラグチー長官はイランの代表的な強硬派政治家で、現時点でイラン政権を代弁する唯一の対外コミュニケーション窓口として浮上している。

アッバス・アラグチ・イラン外相。/聯合ニュース

23日(現地時間)トランプ大統領は突如「戦争解決のためイランと生産的な対話を行った」と述べ、終戦の可能性を示唆した。先にイランに48時間の期限を提示してホルムズ海峡の開放を圧迫し、これに応じなければイラン国内の発電インフラを焦土化すると宣言してからわずか2日後である。

トランプ大統領によれば、早ければ今週中にも両国は協議を進める予定で、イラン外務部もまた米国から協議要請のメッセージを受け取ったと認めた。イラン側のカウンターパートとしては、イスラム革命防衛隊(IRGC)将軍出身のモハンマド・バーゲル・ガーリーバーフイラン国会議長の名が挙がり、アラグチー長官もまた前線でコミュニケーションを進めているとされる。

先にアラグチー長官は、国際社会でイランの公式立場を代弁する「対外窓口」の役割を自任してきた。トランプ大統領のホルムズ海峡開放要求に対して「通行をためらう理由はイランではなく、あなたたちが選んだ戦争を保険会社が恐れているからだ」と述べ、米国の「海軍連合軍」構成の動きに対しても「イランは停戦を懇願しない」とし、抗戦の意思を示した。

イラン政権を支えていた主要人物が暗殺された当時にも、アラグチー長官は「停戦を議論する余地はない」と強調し、強硬な対外メッセージで米・イスラエルに対抗してイランの立場を代弁する中核人物として地位を確立した。

1962年イランのテヘランで生まれたアラグチーは、イラン国際関係大学校とイスラム・アーザード大学で国際関係学学士と政治学修士を取得し、その後英国ケント大学で政治学博士を取得した。1989年からイラン外務部に所属し、フィンランド駐在イラン大使と駐日イラン大使、イラン外務部アジア太平洋・コモンウェルス次官などを経て、2024年に外務長官に就任した。

とりわけ、10代の頃にイラン革命防衛隊(IRGC)に約10年間勤務した経歴があり、当時パフラヴィー王朝が崩壊したイラン革命とイラン・イラク戦争を経て、強硬な政治路線を形成したと解される。

西側の外交界でアラグチーは核交渉を主導して名を知られ、実際にイラン・イスラム共和国の歴史上で最も影響力のある外務長官として指摘されたことがある。2015年にイランがいわゆる「P5+1」国家である米国・ロシア・中国・英国・フランスおよび欧州連合(EU)と核合意を締結した当時、アラグチーはイラン側の交渉首席代表を務め、直前のスイス・ジュネーブ核交渉の過程でも代表として同席した。

交渉人としてアラグチー長官は概して冷静かつ実務的な人物に分類される。オバマ政権でイラン核合意の交渉実務を主導したリチャード・ネフュー、コロンビア大学グローバル・エネルギー政策センター上級研究員は「アラグチー長官は米国をそれほど好んではいなかったが、信頼に足る合意に到達することが国益にかなうと信じていた」と説明した。

ただし同時に、土壇場で合意を覆したり強硬発言を繰り出す戦術で交渉の難度を引き上げることがあったとの評価もある。2015年の核交渉に参加したウェンディ・シャーマン元米国務副長官は「アラグチーは孫の写真を見せるなど人間的な一面を見せることもあった」としつつも、「交渉の最後の瞬間にすでに妥協済みの問題を持ち出し、妥結を遅らせる戦略を駆使した」と述べた。

アラグチー長官自身も外交戦略として交渉を強調してきたとみられる。自身の著書『交渉の力』で、自らの外交手法を「イラン式バザール(bazaar・ペルシャの市場)の値切り交渉」に例え、さまざまな論理を動員して交渉を繰り返すことだけが満足のいく結果を導き出せるのだと主張したことがある。

政界では、アラグチー長官の台頭が今後のイランの権力構図に影響を及ぼす可能性があるとの見方もある。これまで多様な政治勢力間の橋渡し役を担ってきており、将来的に大統領職を狙う野心家と評価されるということだ。

ただし、強固な政党基盤や大衆的支持が不足しており、米国政治への理解が十分ではないため、トランプ政権の外交スタイルと衝突を招く可能性があるとの指摘も出ている。国際危機グループ(ICG)のイラン専門家であるアリ・ヴァエズはアラグチー長官について「明白な実務家だ」とし、「政策立案に慣れた人物ではなかった」と評価した。

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